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笹幸恵
2019.12.22 17:12皇統問題

「よくわかる皇位継承論のツボ」について〈その2〉

『WiLL』2月号に「よくわかる皇位継承論のツボ」として
対談が2本、掲載されている。

1本目は小林先生とケント・ギルバート氏。
2本目は百地章氏と竹内久美子氏。

(1本目についての感想はコチラ)
https://www.gosen-dojo.com/blog/24695/

今回は対談2本目について。
百地氏と竹内氏・・・この組み合わせを見ると、
もうそれだけで内容がだいたいわかってしまうけど、
先入観や色眼鏡はよくないので虚心坦懐にページをめくる
・・・けど、やっぱりY染色体礼賛記事だった!

いわく、
「男しか持たない性染色体Yを、
ほぼそのままの形で継承してきた」
「Yについては交差が起きないため、薄まらない」
「神武天皇のY染色体が天皇陛下に受け継がれている」
「科学的説明などなかった時代に、先人たちは
男系の大切さを感じ護り続けた」

染色体によって人間の価値をはかろうとすること自体が
何だかとても恐ろしいと私は感じてしまう。
ある種の科学万能主義、科学絶対主義に対する
違和感や不信感がぬぐえない。

先人たちは男系を守ろうとしてきたのではなく、
天皇家を守ろうとしてきたのだ。
そのためには、男とか女とかは二の次。
ほかに適任がおらず、推古天皇が他の皇族や
豪族たちに請われて即位したのはその良い例だ。

また男系の血統で続いてきたというのも留保が必要だ。
天智天皇(38代)や天武天皇(40代)は、
父・舒明天皇(34代)と母・皇極天皇(35代)の
息子たち。父も母も天皇だったわけだ。
皇極天皇が重祚して斉明天皇(37代)となり、
その次に天智天皇が即位している。
つまり順番からすると、女系の男子が
天皇になったと見ることも可能なのだ。
父も母も天皇なのに、なぜか母が天皇だったことは無視される。
そして、Y染色体なる後付けの理由でもって、
天智天皇は「男系男子」と位置づけられる。
おかしいよなあ。

男系は、父方のみならず、父方&母方も含む。
だけど女系は、母方のみ。
男系の定義のほうが幅広いんだから、そりゃ
「歴史上、例外なく男系男子で続いてきた!」
にもなるだろう。

もちろん天皇や皇族に権力があり、それをめぐる争いが
あった時代。男性が優先されていたであろうことは
容易に想像がつく。
しかし、だからといって、女が完全に無視されて
いたわけではない。
ときに女が君臨し、ときに女によって権威付けと
正当性を担保してきた。
推古天皇は、中国にも朝鮮半島にも女帝がいない時代、
はじめて女性の君主になった。
ゆるやかな双系こそが先人たちの知恵であり、
今のようにゴリゴリの科学信奉で、
男じゃなきゃダメ! Y染色体じゃなきゃダメ!
などとは言っていない。
今のほうが、よっぽどタチの悪い男尊女卑感覚だ。

あああ、なんか対談のごくごく最初の部分だけで
また長くなってしまった。
まだまだ、つづく。
次回はこの対談の大きな矛盾点を暴く。

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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